僕が聴いてきたラジオ 〜 その1

このブログは相当以前に開設したのだが、放置していた。
で、それを再開しようという気になったのは、ラジオ(それもAM)について書きたいからである。
実は私は他にもブログをやっていて、そちらでも時々、ラジオの話を書いていた。
ところが、だんだんとネタが政治やメディア、原発のことに集中し始めた。しかも一方で、そこで書いた記事が他のサイトへ転載されるというようなことが起きて、ラジオの話が書きにくくなったのである。
でも、やっぱりラジオのことを書きたい。
だから、これからはこのブログをラジオとは限らないけれども(落語の時もあるかもしれないが)、まあラジオメインで書いていこうと思う。

さて、すでにもういくつも書きたいことがあるのだが(たとえば、先週の「久米宏ラジオなんですけど」で、久米がゲストの大滝詠一に完全に食われてしまったことについてとか)、まずは自分がかつて聴いていたラジオについて書いてみたい。
というのも、先日、連休中の企画で、TBSラジオが開局60周年の記念イベントを赤坂サカスでやっていた。
その最中、爆笑問題の「日曜サンデー」内で「JUNK大集合」という企画があり月〜金のJUNKのパーソナリティが一堂に会するという公開放送があった。で、その時のことも別に書きたいのだが、その番組中、各パーソナリティへの質問コーナーで、「みなさんが学生時代に聴いていたラジオ番組はありますか? それはどんな番組でしたか?」という内容のメールがあった。
そして、伊集院光爆笑問題おぎやはぎたちがそれに答えていたのだが、JUNKのパーソナリティというのは僕より若いので、「ビートたけしオールナイトニッポン」以降の番組が多かった。唯一僕に近い世代の爆笑問題田中裕二が「生島ヒロシの夜はともだち」と答えていたが、僕はさらにその前にやっていた「一慶・美雄の夜はともだち」を聴いていた世代である。ちなみにこの番組は小島一慶林美雄(故人)がテレコでやっており、テーマ曲はキャンディーズが歌っていた。
この番組をやっていたのは中学ぐらいの時だったが(ちなみに1962年3月生まれです)、僕がラジオを聴いていたのは、さらにそれ以前の小学生の頃からである。
その頃に聴いていたラジオを思いつくままに書いてみると、、、

欽ドンニッポン放送
テレビではなくラジオ。これは毎日聴いていた。集英社が提供をしており、ハガキを読まれると集英社の雑誌の名前を冠した、たとえばプレイボーイ賞なんてものがもらえる。当時のガキにとって「プレイボーイ」という週刊誌は大変に大人の雑誌だったので(笑)、いったいその賞とはなんぞや?と思ったものだった。

この欽ドンの前に、ラジオドラマがあったと思うのだが、これも聴いていた。江戸川乱歩の小説などをやっていたと思うが、これはとても怖かった印象がある。
ラジオドラマでは、また「日本沈没」も聴いた。いま検索してみると、これは1973年にやっていたようなので、そうだとすると小学校5年の時ということになる(ちなみに僕は大学を卒業して、その「日本沈没」を出版した会社に入った)。

当時、住んでいたのは横浜市南部の山の上にある団地だったので、ラジオの電波は比較的良く入ったが、やはりこの地域はニッポン放送の電波が強かった。したがって初めてラジオを聴いたのはニッポン放送だったはずで、たとえば日曜の朝にやっていたロイジェームス「不二家歌謡ベストテン」は毎週、聴いていたと思う。
ただ一方で、久米宏小島一慶がやっていたポップスと歌謡曲のベストテンも記憶にある。これは久米が歌謡曲、小島がポップス担当で、各順位ごとにお互いにチンチロリンでサイコロを振って、出た目の多い方の曲(つまり歌謡曲かポップスのどちらか)をかけるという番組だった(したがって勝負の行方によっては、歌謡曲、あるいはポップスがまったくかからないということもあった)。

で、ここまで書くと、歌謡曲のベストテン番組についてはもう一つ触れないわけにはいかないのだけど、それはFMの「コーセー化粧品歌謡ベストテン」。これは土曜日にやっていたのだと思うが、この頃はいわゆるエアチェック(もう死語だね)を必死こいてやっていた時代で、この番組を録音して、歌謡曲のカセットをせっせと作っていた(本来、勉強に向けられなければならない熱意は、僕の場合、すべてこんなことに費やされていた。ちなみにこのコーセーの歌謡ベストテンを聴いていたのは時代的には中学〜高校ぐらいだったと思う)。

うーむ、、、
このエントリーは自分の聴いていたラジオ番組名をただ書き連ねるだけで一回で終わる予定だったのに、すでに長めになっている。
しかし、一つ一つの番組について書きたいことが出てきてしまう。
ということでとりあえず小学校時代に戻って印象的な番組を並べると、、、

横山プリンのシャナナ銀座(ニッポン放送
どう考えてもチョー面白い番組だった。東芝の一社提供で、公開生放送だったと思う(確か場所は銀座)。リスナーが電話口で洗面器に顔を突っ込んで、「東芝さんありがとう」と言って、それがきちんと聞こえたら賞をもらえるというような企画があった。が、大抵の場合は、「どぅぼしぼざん、ばびばとー」というような具合になってしまって良く聞こえないのであった(とここまで書いて、ひょっとしてこの番組は中学になってから聴いたのかもしれないと思い始めた。ここらへん記憶曖昧)。

ヤングタウン東京 桂三枝の大放送(TBSラジオ
土曜日の午後9時半からTBSホールでやっていた(当時は赤坂一ツ木通り沿いにあったTBSの社屋の隣にホールがあった)公開生放送。メインは桂三枝でサブは小島一慶。「時計の針は9時半を回りました。ここ赤坂TBSホールからお送りする桂三枝の大放送、まずは学校紹介から」といって「〇〇高校聴いてるかい」と小島一慶が学校紹介をしていく。そのあとオープニングテーマが始まるのだが、「ヤングタウン東京〜土曜日の夜〜」という感じの曲が流れた。ちなみに桂三枝の大放送は、その後、毒蝮三太夫の大放送に看板が変わり、キャンディーズがレギュラーとなる。

次に深夜放送。僕が初めて聴いた深夜放送は、これは間違いなくニッポン放送オールナイトニッポンでパーソナリティは及川伸一。これは多分、小学5年生ぐらいのことだったと思う。当時は二部制ではなく、一人のパーソナリティが4時間やっている時代で、オープニングのテーマ曲も今とは違うものだった。

と、ここまで書いたところで長くなりすぎてしまったし、明け方近くになってしまったので、この続きは次回に。