ドラゴンズにマジック点灯

中日ドラゴンズのファンである。どのぐらいのファンであるかというと、30年来ということになる。
そもそもは巨人のV10を阻止したことでファンになった。つまり読売嫌いなのである。
ちなみに私は名古屋出身ではなく(神奈川出身)、したがってナゴヤ球場ナゴヤドームには一度も行ったことがない。ただし中日のセリーグ優勝の胴上げ試合は2度見ている。
一度は昭和57年の横浜。二度目は1999年の神宮でである(西暦と元号が一緒くたになっているが)。
とくに印象深いのは57年の横浜大洋戦。このときは3連戦で2勝すれば良かったが先勝したあと1敗する。たしかこのときに大洋は斎藤明夫だったかが当時のセーブの新記録をつくった。
ちなみにこの3連戦、私はすべて外野席で観戦したのだが、中日応援団も横浜大洋応援団もお互いに選手のコールをするときに「カットバセー〇〇(名前)、読売倒せ、おー」というのである。つまり対戦相手の名前はコールしないのである。これはなんとも不思議な雰囲気だった。
また初戦、勝ったとはいえ中日ファンがたびたび外野席で紙テープを投げ、これで試合が中断し、試合進行のさまたげになり、またゲームの流れも途切れるということになり、2戦目からは紙テープ投げ入れ禁止になったと思う。
この2戦目終了後は、なんと横浜大洋応援席から「明日はガンバレドラゴンズ」コールまで飛び出す。そして私が試合終了後に球場の外を歩いていると、大洋ファンのオッサンが「おい、明日は頑張って優勝してくれよ、もうこんな応援はやってらんないよ」と声をかけてきて、肩まで叩かれたのであった。

また3連戦は中日・田尾と横浜大洋・長崎が熾烈な首位打者争いをしていた。長崎は休みモードに入っていたが、田尾は1番でスタメン「毛」差ぐらいの争いだったが、横浜は3戦目はすべて敬遠した。これもあって中日が最終戦を制すのだが、先制は谷沢のホームランだったと思う。谷沢は左打者だからボールは右翼席へ飛ぶ。が、しばらくすると横浜の応援団のはっぴを着た兄ちゃんが中日側にやってきた。「なんだなんだ」とざわめいていると、しばらくして中日応援団の兄ちゃんが「ただいま、横浜大洋の応援団より谷沢選手のホームランボールが届きました〜」と叫んで、一同は喝采したのである。

試合はたしか開幕戦以来、故障していた小松が先発して完封、8−0で勝ったはずだ。この試合は中日の130試合目、しかもセリーグすべての試合の最終戦でもあった。そうして8回ぐらいだったか、ここまですべて敬遠された田尾が、またまた敬遠をされるところで、田尾はスイングをした。ここで打撃コーチの黒江が登場。田尾の肩を抱きかかえるようにしたのを記憶している。ちなみに、このときに怒り心頭のあまり外野席から「バカヤロー」と禁止されていた紙テープを投げ入れたのは、私と、その日に知り合った中日ファンの兄ちゃんである。

横浜の最後のバッターは左打ちの外人だった気がする。これを小松が見事に三振に仕留める。マウンドへ駆け寄った捕手の中尾はピョコンと飛び上がった小松をそのまま受け止めて抱きかかえた。これは中日ファンの私が記憶するもっとも素晴らしいシーンであった。
その後、近藤監督の胴上げ。横浜スタジアムは外野から飛び降りたヤツまでいて(当然、怪我人も出た)大騒ぎとなったのである。
翌日の東京中日スポーツの一面はいまでも覚えている。でかでかと「ああ、奇跡の戦士ら」というタイトルが踊っていた。

なんて長々と書いたが、その中日に昨日マジックが点灯。
実はこの30年の間に、中日の勝敗があまり気にならない時期もあったのだが、とくに落合が監督になってからは再びドラゴンズを強く応援している。
というのも落合が監督として素晴らしいからで、私は川上哲治の再来ではないかとさえ思っている。落合監督のすばらしさについては、まあそのうちということで、まずはシーズン1位になって欲しいので、今日の試合も期待しているのであった。